ターバンがはためく街
Southall(サウスオール)は一大インド人街です。Brick Lane(ブリックレーン)がバングラデシュ出身のイスラム教徒の街であるのに対して、サウスオールは北インド、パンジャーブ地方出身のシーク教徒が多い街です。ヒンズー教徒、インド・パキスタン系のイスラム教徒を合わせると、この地域の人口の55%が南アジア出身者で占められます。この地域に暮らす白人のイギリス人は10%程度にすぎません。

シーク教徒の人々
サウスオールは1920-30年代にはウエールズからの移住者が多い土地でしたが、1950年代には地元の工場の労働力としてインドから多くの移民を受入れました。また、ヒースロー空港に程近い土地柄のため、空港関連の職を求めてこの地に根をおろすインド系移民も数多くいました。
2003年にはインド国外では最大級のシーク寺院の一つである、Gurdwara Sri Guru Singh Sabha(グルドワラ・スリ・グル・シン・サバ)が建設されました。近隣にはヒンズー寺院やモスクもあります。また、サウスオールは地元出身の Gurinder Chadha(グリンダ・チャーダ)監督の映画 Bend It Like Beckham(邦題:ベッカムに恋して)の舞台になった場所としても知られています。

Gurdwara Sri Guru Singh Sabha 外観
シーク寺院内を見学させていただきました。寺院内は土足禁止で、女性は頭をスカーフで覆ってから中に入ります。本堂の前方中心には祭壇があります。参拝者は祭壇に祈りを捧げてから、男女別に分かれて座り(男女共に胡坐をかいていました。)瞑想したり祈ったりしていました。祭壇近くでは三人の男性が鍵盤楽器、太鼓、歌による宗教的な音楽を絶えず演奏していました。お寺さんの本堂に座っているかのような錯覚に陥りました。

寺院周辺で雑談するシーク教徒の男性
シーク教徒の男性は髪や鬚を切らずにターバンで覆います。女性も髪を切らずに三つ編みにしている人が多いです。女性用のダーバンを着用している人も時々見かけます。
誰もがイメージするインド人はターバンを巻いていますが、シーク教徒はインドでも人口の2%程度に過ぎません。シーク教徒には教育水準の高い人が多かったため、イギリス統治時代のインドでは官吏や軍人として登用される人材が多く輩出されました。職務等で海外に渡航したインド人にターバンを巻いたシーク教徒が多かったため、ターバンの着用はインド人の習俗であるとの世界的なイメージにつながりました。

Glassy Junction(グラッシー・ジャンクション)このパブではインドの通貨ルピーで支払いができます。

バザール内 アクセサリー屋さん
サウスオールの大通りには衣料品店、宝飾品店、雑貨屋、食べ物屋が軒を連ねています。大通りに面した入り口からはバザールに通じます。バザール内では狭い路地の両側にアクセサリーや民族衣装を扱うお店が立ち並んでいます。店主はシーク教徒が多いです。このバザールの上階にはアフガニスタン関連のレストランとお店がありました。

バザール内 民族衣装のディスプレー

シーク教徒の人々
サウスオールは1920-30年代にはウエールズからの移住者が多い土地でしたが、1950年代には地元の工場の労働力としてインドから多くの移民を受入れました。また、ヒースロー空港に程近い土地柄のため、空港関連の職を求めてこの地に根をおろすインド系移民も数多くいました。
2003年にはインド国外では最大級のシーク寺院の一つである、Gurdwara Sri Guru Singh Sabha(グルドワラ・スリ・グル・シン・サバ)が建設されました。近隣にはヒンズー寺院やモスクもあります。また、サウスオールは地元出身の Gurinder Chadha(グリンダ・チャーダ)監督の映画 Bend It Like Beckham(邦題:ベッカムに恋して)の舞台になった場所としても知られています。

Gurdwara Sri Guru Singh Sabha 外観
シーク寺院内を見学させていただきました。寺院内は土足禁止で、女性は頭をスカーフで覆ってから中に入ります。本堂の前方中心には祭壇があります。参拝者は祭壇に祈りを捧げてから、男女別に分かれて座り(男女共に胡坐をかいていました。)瞑想したり祈ったりしていました。祭壇近くでは三人の男性が鍵盤楽器、太鼓、歌による宗教的な音楽を絶えず演奏していました。お寺さんの本堂に座っているかのような錯覚に陥りました。

寺院周辺で雑談するシーク教徒の男性
シーク教徒の男性は髪や鬚を切らずにターバンで覆います。女性も髪を切らずに三つ編みにしている人が多いです。女性用のダーバンを着用している人も時々見かけます。
誰もがイメージするインド人はターバンを巻いていますが、シーク教徒はインドでも人口の2%程度に過ぎません。シーク教徒には教育水準の高い人が多かったため、イギリス統治時代のインドでは官吏や軍人として登用される人材が多く輩出されました。職務等で海外に渡航したインド人にターバンを巻いたシーク教徒が多かったため、ターバンの着用はインド人の習俗であるとの世界的なイメージにつながりました。

Glassy Junction(グラッシー・ジャンクション)このパブではインドの通貨ルピーで支払いができます。

バザール内 アクセサリー屋さん
サウスオールの大通りには衣料品店、宝飾品店、雑貨屋、食べ物屋が軒を連ねています。大通りに面した入り口からはバザールに通じます。バザール内では狭い路地の両側にアクセサリーや民族衣装を扱うお店が立ち並んでいます。店主はシーク教徒が多いです。このバザールの上階にはアフガニスタン関連のレストランとお店がありました。

バザール内 民族衣装のディスプレー
参考文献:Wikipedia
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masalaさんこんばんは
美雨様
こんにちは。
私もロンドンに来るまで、インド人は皆、ターバンを巻いているものだと思っていました。ところがシーク教徒はインドの中でもごくごく少数派であるということを知って驚きました。インド人=ターバンというイメージは日本人に特有なものかと思っていたら、全世界的なイメージであるということを知ったときには、驚きが倍増しました。
さすがにsouthhallといえどもバザールでは、イギリスのポンドしか使えないようですが、Glassy Junctionというパブでは使えるようです。正面玄関に張紙がしてありました。(笑)
イギリスに住む各国人たちは、それぞれに近隣に住まい、コミュニティーを作っているようですが、southhallの南アジアコミュニティーがロンドンでは、最大のエスニックマイノリティーのコミュニティーかと思います。ここに住む他人種の人は肩身が狭いでしょうね。
私もロンドンに来るまで、インド人は皆、ターバンを巻いているものだと思っていました。ところがシーク教徒はインドの中でもごくごく少数派であるということを知って驚きました。インド人=ターバンというイメージは日本人に特有なものかと思っていたら、全世界的なイメージであるということを知ったときには、驚きが倍増しました。
さすがにsouthhallといえどもバザールでは、イギリスのポンドしか使えないようですが、Glassy Junctionというパブでは使えるようです。正面玄関に張紙がしてありました。(笑)
イギリスに住む各国人たちは、それぞれに近隣に住まい、コミュニティーを作っているようですが、southhallの南アジアコミュニティーがロンドンでは、最大のエスニックマイノリティーのコミュニティーかと思います。ここに住む他人種の人は肩身が狭いでしょうね。
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masalaさんの記事を読んでなるほどと思いました。そういえば、インド人のイメージって、昔読んだ千夜一夜物語の挿絵や(印度とペルシャがこたまぜになってる挿絵。サラセン帝国期だからこれもアリ?笑)、なによりも、母が作ってくれた印度カレーのパッケージについていた、ターバンを巻いた印度人のおじさまがスプーンを握ってカレーを食している姿は印象強かったです。子供の時のイメージ、初期の情報のイメージってよくも悪くも脳裏に焼きつきますね。
インドで目にした正確にはターバンでない包帯のような白い布をまきつけているのは、単に日射病を防ぐ帽子がわりなのかもですね。(苦笑)シーク教徒の帽子のようなターバンは、確かに独特だと思います。
ところで、southhallのバザールではルピーでお買い物ができるのですか・・・(@_@)ここはミニ・印度であり、エスニックゾーンなんですね。人口の55%が南アジア出身者で占められているのも凄いけど、その地域に暮らす白人のイギリス人は10%程度って、肩身が狭そうですね。