カウンシルハウス
最近、以前 BBC で放映されていた Little Britain(リトル・ブリテン)の DVD を見ています。何度も見ているのですが、見るたびに新しい発見があっておもしろいです。イギリス人には爆笑ものでも、私には理解することができなかったエピソードが面白いと思えるようになっていたときには、少し嬉くなります。そのリトル・ブリテンのエピソードの中に、カウンシルフラットを背景に「これは、労働者階級の人々を収納する入物です。」というナレーションが流れる場面があります。今回は、そのカウンシルフラットについて書きます。
カウンシルは地方公共団体、フラットは集合住宅です。カウンシルが所有する住宅は総称してカウンシルハウスと呼ばれますが、建物が集合住宅の場合はカウンシルフラットになります。カウンシルフラットは日本でいう公団です。希望すれば誰でも入居できるということにはなっていますが、シングルマザーや失業者、低所得者が優先となるので、ある程度の収入が保障されている人々は、申し込みをしても順番がまわってくるまでに長い時間がかかります。低所得者でも子どもがいないカップルや独身者は優先順位が低くなります。上記の理由からカウンシルハウスには上品なイメージはありません。実際、ロンドンでも治安のよくないといわれている地域の周辺には大きなカウンシルエステート(カウンシルフラット群)があります。

夕闇のカウンシルフラット East London(イーストロンドン)
19世紀の産業革命の頃、大都市では人口増加による住宅不足、伝染病の流行、治安の悪化が著しくなりました。慈善団体が集合住宅を都市の人々に供給したり、大企業が従業員に社宅を与えたりして問題の解決に努めました。1885年には議会で住宅問題が協議され、1900年にはロンドンで初めて地方公共団体が管理する住宅が完成しました。各都市もロンドンに続きカウンシルハウスの建設に乗り出しました。カウンシルハウスの建設は労働者階級の人々に住宅を供給するだけでなく、治安を向上させるための政策でもありましたが、後者の目的は達せられることなく第二次世界大戦を迎えました。
第二次世界大戦中には多くの家屋が爆撃により倒壊されたため、戦後、カウンシルハウスの建設が最優先課題となりました。多くの労働者階級の人々は、カウンシルハウスに入居することで初めて自分の庭を持つことが出来ました。この時代に建てられた建物はしっかりとした造りの一戸建てで庭がありました。
1950年代に入ると、多くの人々にカウンシルハウスを供給するためにブロックフラットが多く建設されました。そのなかでも特に高層の建物(タワーブロック)は構造上の不備が多く、後年、老朽化の激しい建物は取り壊されました。今でも多くのヴィクトリア時代の建物を改装しながら住宅として使用していることを考えると、この時代に建てられたタワーブロックは間に合せの安請け合いであったことが伺えます。
1980年代のサッチャー政権下でカウンシルハウスのテナントは住んでいる物件を買い取ることができるという制度ができて奨励されました。1980年から1998年までに推定、二億軒のカウンシルハウスが売却されました。多くの人が自分の家を持つことができましたが、売却された物件がフラットの場合、一つの建物の中にカウンシルが管理する物件と個人が所有する物件が混在するという状況が生まれました。これがなかなか厄介な問題を抱えています。
以前、私はカウンシルフラットの一戸を購入した大家さんから家を借りていました。この家は週末ごとに断水しました。最初は水道局に連絡を取りましたが、担当者は地域で断水している様子はないので、建物に問題があるのではないかと言いました。同じ建物のご近所さんの様子を伺ったところ建物全体で断水していたようなので、次に私はカウンシルに連絡を取りました。カウンシルの担当者の回答は、あなたの大家はカウンシルではなく個人なので大家に直してもらってくださいというものでした。
建物全体に関わる問題を一戸を所有している個人が責任を負うなどということはありえません。担当者の無責任さに立腹しながらも、カウンシルから家を借りているご近所さんにカウンシルに働きかけてもらおうと思いつきました。ご近所さんのドアを叩きながら、思いもよらぬ話を聞かされました。最初にお話をしたご近所さんは一戸の所有者でした。彼女は、断水しているのは不便だけれども、お金に余裕がないのでカウンシルが修理に乗出すのは具合がよくないと言いました。カウンシルが建物全体を修繕するときには、個人の所有者は一戸分の修理費を負担しなければなりません。考えてみれば当たり前のことですが、カウンシルが建物の修理をすると決めたときには、個人の所有者には拒否権はありません。
私の大家は家を何件も持っていて家賃収入で暮らしていた人だったので、少しくらいの出費は痛くも痒くもなかったでしょうが、全ての人がいつもお金に余裕があるというわけではありません。ご近所さんも個々に色々な事情を抱えていたようで、その後も毎週のように断水は続きました。私は面倒になってそのフラットから引越をしました。カウンシルフラットの売却は、一戸単位ではなく一棟単位(そのような例も一般的です。)だけにしておけばこのような問題は起こらなかったのではないかと思います。当時の政府は、目先の利益に目がくらんで長期的な展望を見失っていたのでしょうか。イギリスらしい話です。
カウンシルは地方公共団体、フラットは集合住宅です。カウンシルが所有する住宅は総称してカウンシルハウスと呼ばれますが、建物が集合住宅の場合はカウンシルフラットになります。カウンシルフラットは日本でいう公団です。希望すれば誰でも入居できるということにはなっていますが、シングルマザーや失業者、低所得者が優先となるので、ある程度の収入が保障されている人々は、申し込みをしても順番がまわってくるまでに長い時間がかかります。低所得者でも子どもがいないカップルや独身者は優先順位が低くなります。上記の理由からカウンシルハウスには上品なイメージはありません。実際、ロンドンでも治安のよくないといわれている地域の周辺には大きなカウンシルエステート(カウンシルフラット群)があります。

夕闇のカウンシルフラット East London(イーストロンドン)
19世紀の産業革命の頃、大都市では人口増加による住宅不足、伝染病の流行、治安の悪化が著しくなりました。慈善団体が集合住宅を都市の人々に供給したり、大企業が従業員に社宅を与えたりして問題の解決に努めました。1885年には議会で住宅問題が協議され、1900年にはロンドンで初めて地方公共団体が管理する住宅が完成しました。各都市もロンドンに続きカウンシルハウスの建設に乗り出しました。カウンシルハウスの建設は労働者階級の人々に住宅を供給するだけでなく、治安を向上させるための政策でもありましたが、後者の目的は達せられることなく第二次世界大戦を迎えました。
第二次世界大戦中には多くの家屋が爆撃により倒壊されたため、戦後、カウンシルハウスの建設が最優先課題となりました。多くの労働者階級の人々は、カウンシルハウスに入居することで初めて自分の庭を持つことが出来ました。この時代に建てられた建物はしっかりとした造りの一戸建てで庭がありました。
1950年代に入ると、多くの人々にカウンシルハウスを供給するためにブロックフラットが多く建設されました。そのなかでも特に高層の建物(タワーブロック)は構造上の不備が多く、後年、老朽化の激しい建物は取り壊されました。今でも多くのヴィクトリア時代の建物を改装しながら住宅として使用していることを考えると、この時代に建てられたタワーブロックは間に合せの安請け合いであったことが伺えます。
1980年代のサッチャー政権下でカウンシルハウスのテナントは住んでいる物件を買い取ることができるという制度ができて奨励されました。1980年から1998年までに推定、二億軒のカウンシルハウスが売却されました。多くの人が自分の家を持つことができましたが、売却された物件がフラットの場合、一つの建物の中にカウンシルが管理する物件と個人が所有する物件が混在するという状況が生まれました。これがなかなか厄介な問題を抱えています。
以前、私はカウンシルフラットの一戸を購入した大家さんから家を借りていました。この家は週末ごとに断水しました。最初は水道局に連絡を取りましたが、担当者は地域で断水している様子はないので、建物に問題があるのではないかと言いました。同じ建物のご近所さんの様子を伺ったところ建物全体で断水していたようなので、次に私はカウンシルに連絡を取りました。カウンシルの担当者の回答は、あなたの大家はカウンシルではなく個人なので大家に直してもらってくださいというものでした。
建物全体に関わる問題を一戸を所有している個人が責任を負うなどということはありえません。担当者の無責任さに立腹しながらも、カウンシルから家を借りているご近所さんにカウンシルに働きかけてもらおうと思いつきました。ご近所さんのドアを叩きながら、思いもよらぬ話を聞かされました。最初にお話をしたご近所さんは一戸の所有者でした。彼女は、断水しているのは不便だけれども、お金に余裕がないのでカウンシルが修理に乗出すのは具合がよくないと言いました。カウンシルが建物全体を修繕するときには、個人の所有者は一戸分の修理費を負担しなければなりません。考えてみれば当たり前のことですが、カウンシルが建物の修理をすると決めたときには、個人の所有者には拒否権はありません。
私の大家は家を何件も持っていて家賃収入で暮らしていた人だったので、少しくらいの出費は痛くも痒くもなかったでしょうが、全ての人がいつもお金に余裕があるというわけではありません。ご近所さんも個々に色々な事情を抱えていたようで、その後も毎週のように断水は続きました。私は面倒になってそのフラットから引越をしました。カウンシルフラットの売却は、一戸単位ではなく一棟単位(そのような例も一般的です。)だけにしておけばこのような問題は起こらなかったのではないかと思います。当時の政府は、目先の利益に目がくらんで長期的な展望を見失っていたのでしょうか。イギリスらしい話です。
参考文献:Wikipedia
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● COMMENT FORM ●
カウンシルハウスの人達の連帯
101Ton様
こんにちは。
興味深いお話をありがとうございます。犯罪に走る若者はモチベーションが低いということをニュースの中の討論で若者を指導する立場にある人が話しておられました。その方は自分も若い頃に荒れていた時期があったそうです。特に貧困家庭で育った若者は、誰にも期待されずに成長し、自分の価値を見出せないまま思春期を迎えます。その欲求不満が犯罪に走る要因になっているそうです。その方は、素行の悪い若者を地域のスポーツクラブに参加させるなどして、自分の価値を見出してもらう活動をしているそうです。コミュニティー・ガーデンの話を読んでそんなことを思い出しました。
興味深いお話をありがとうございます。犯罪に走る若者はモチベーションが低いということをニュースの中の討論で若者を指導する立場にある人が話しておられました。その方は自分も若い頃に荒れていた時期があったそうです。特に貧困家庭で育った若者は、誰にも期待されずに成長し、自分の価値を見出せないまま思春期を迎えます。その欲求不満が犯罪に走る要因になっているそうです。その方は、素行の悪い若者を地域のスポーツクラブに参加させるなどして、自分の価値を見出してもらう活動をしているそうです。コミュニティー・ガーデンの話を読んでそんなことを思い出しました。
カウンシルハウスの人達の連帯Ⅱ
Lady Masalaさん 今晩は、コメントの折り返し有難う御座いました。
若者に対する地域の取り組みは多くの国でなされているようですが日本の場合はもっと深刻になっているように感じられます.
それは高齢者の万引きと孤独死です。二つの問題の根源に地域のコミュニティーが崩壊している部分が上げられます。両者とも積極的に外の世界に出ない、長年孤立感の中に見られます。
わざわざ遠くまで行かなくとも普段の自分の生活範囲で作られたコミュニティー・ガーデンは小さな子供を連れたお母さんからお年寄りまで参加できるでしょう。例え参加しなくてもそれらの作業を眺めている事がその人にとって社会参加になるかもしれません。
この夏、多くのカウンシルハウス群が建つClapham Park地区で見つけた新しく作られたコミュニティー・ガーデンは普通の公園の中の片隅を利用して始められた場所でした。(若者は活発にミニサッカーやバスケをしています。)まだ参加者は7-8人と少ないそうですが見ていると通り掛りのオネイさんが声をかけたりしていました。そのガーデンにあるベンチでは寝込んでいる黒人がいました。メンバーの人に彼もメンバーかと聞くと‘ただの酔っ払いだよ’とウフフ・・・でしょ。
若者に対する地域の取り組みは多くの国でなされているようですが日本の場合はもっと深刻になっているように感じられます.
それは高齢者の万引きと孤独死です。二つの問題の根源に地域のコミュニティーが崩壊している部分が上げられます。両者とも積極的に外の世界に出ない、長年孤立感の中に見られます。
わざわざ遠くまで行かなくとも普段の自分の生活範囲で作られたコミュニティー・ガーデンは小さな子供を連れたお母さんからお年寄りまで参加できるでしょう。例え参加しなくてもそれらの作業を眺めている事がその人にとって社会参加になるかもしれません。
この夏、多くのカウンシルハウス群が建つClapham Park地区で見つけた新しく作られたコミュニティー・ガーデンは普通の公園の中の片隅を利用して始められた場所でした。(若者は活発にミニサッカーやバスケをしています。)まだ参加者は7-8人と少ないそうですが見ていると通り掛りのオネイさんが声をかけたりしていました。そのガーデンにあるベンチでは寝込んでいる黒人がいました。メンバーの人に彼もメンバーかと聞くと‘ただの酔っ払いだよ’とウフフ・・・でしょ。
101Ton様
こんにちは。
私が10年ほど前、ロンドンで暮らし始めた当初に大変、驚いたことは「貧しい」人が多いことでした。移民や難民、出稼ぎ労働者が多く暮らしているということもありますが、イギリス人でも底辺の生活を強いられている人が実に多いです。私が日本を離れたときはまだ「格差社会」という言葉は一般的ではありませんでした。イギリス社会の実情を目の当たりにし、「日本ではこんなことはない。」と私が言うと、最近の日本を知る人は「日本でも食うのがやっとという人が多くなってきた。」と言います。老人が万引きにはしるなど悲惨な現状が現実になっている我国を思うと憂鬱になります。
私がイギリスでみたものは、貧困が心まで貧しくしてしまうことと善悪の判断を鈍らせることです。日本政府やコミュニティーは手遅れにならないうちに何か手を打たなくてはなりませんね。
私が10年ほど前、ロンドンで暮らし始めた当初に大変、驚いたことは「貧しい」人が多いことでした。移民や難民、出稼ぎ労働者が多く暮らしているということもありますが、イギリス人でも底辺の生活を強いられている人が実に多いです。私が日本を離れたときはまだ「格差社会」という言葉は一般的ではありませんでした。イギリス社会の実情を目の当たりにし、「日本ではこんなことはない。」と私が言うと、最近の日本を知る人は「日本でも食うのがやっとという人が多くなってきた。」と言います。老人が万引きにはしるなど悲惨な現状が現実になっている我国を思うと憂鬱になります。
私がイギリスでみたものは、貧困が心まで貧しくしてしまうことと善悪の判断を鈍らせることです。日本政府やコミュニティーは手遅れにならないうちに何か手を打たなくてはなりませんね。
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小生はカウンシルの単語を以前から知っていましたが漠然として捉えていて、地方公共団体を巧く訳していませんでした。Lady Masalaさんのブログで大分理解してきました。
昨年の春、ロンドン南東に在るForest Hill付近のカウンシルフラット群の人々との出会いは自分の興味の範ちゅうでもあり、楽しいひと時でした。
それは新しいコミュニティー・ガーデンの製作現場に遭遇した事でした。小生自身、その前年には其処がゴミも散らかっていた薮だった事を覚えていました。そのカウンシルフラット群でも失業者も多くいる荒んだ場所です。
作業小屋として置かれていたコンテナの中で彼らのこの1年の歩みを解説して頂ました。少しでも日常生活に活気ある地区にしようと努力されている住人がおられん事に出会いと感動を覚えて其処去った思い出があります。(コミュニティー・ガーデンはフェンスで囲んで鍵をかける防犯はしてあります。)