Kilner Jar
キルナージャーは、1840年代にガラス工房を経営していた John Kilner(ジョン・キルナー)によって生み出されました。冷蔵庫のない時代には、保存食をいかに長持ちさせるかということが大きな課題でした。コルクやロウでガラスのジャーにふたをする方法が一般的でしたが、その方法では容器内の真空状態を保つことができませんでした。ジョンの孫にあたるCaleb(ケーレブ)は、ガラスのフタを金属でカバーするという画期的な方法を考案しました。その発明によって、保存食の安全性が飛躍的に高まりました。この発見は高く評価され、ロンドン万博で賞をとった他、海外からも注目を集めました。
キルナー一族の事業は成功を収めましたが、他のガラス製造業者も彼らのアイディアを取入れ始めました。その頃から業績が悪化し、1937年には、United Glass Bottle Company(ユナイテット・グラス・ボトル・カンパニー)に特許と商標を譲渡しました。現在は、Rayware Group(レイウェア・グループ)がキルナージャーを取り扱っています。
ボタンやビー玉、ボビンに巻いた色とりどりの糸を入れるとかわいいのではないかと思い購入しました。フタは少しさびついているくらいが Shabby Chic(シャビーシック:古ぼけていて粋なこと)で格好が良いのですが、私の購入したものはさびすぎです。これはこれでよい味を出していて私は好きですが、相棒は「汚い」と言います。


The Kilner Jar Improved(左)は1948年から69年にかけて製造されました。古い時代に製造されたジャーにはガラスのふたがついています。
Kilner reg Dual Purpose Jar(右)は1969年から78年にかけて製造されました。このタイプのジャーは販促のためにネスカフェのインスタントコーヒー入りで売られたこともあったそうです。この時代以降の製品のふたは、現在のものと同様にカバーと同じ金属です。
ファド

ファドを語る上では欠かすことのできないポルトガルギター
ファドはリスボンの下町であるアルファマ地区で生まれた民衆歌謡です。ファドには、大航海時代にポルトガルにもたらされた、イスラム、アフリカ、ブラジルなどの音楽要素が溶け込んでいるといわれています。しかしながら、はっきりとしたルーツはわかっていません。

視聴質のレトロなテレビセット
ファドは決してお上品な音楽ではなく、場末の酒場などで歌われていました。船乗りや売春婦たちも好んで聴いていたそうで、刑務所内でもさかんに歌われていました。

レコードコレクション
ファドは、運命、または宿命を意味するラテン語の fatum に由来するといわれています。失ってしまった人、時間、場所などに対する郷愁、人生の喜びや悲しみ、苦しみなどの心情を歌ったものが多く、その調べには何ともいえぬ哀愁が漂っています。

アルファマの路地にて
博物館内に展示してあった粘土細工がファドの世界観をよく表わしていました。飲んだくれ、店番、ひったくり、怒鳴りあい、噂話、イワシを焼くにおい、そのような何気ない路地裏の日常。普通の人々にもたらされる喜びや悲しみ。それがファドの精神なのではないでしょうか。
Sesame Snaps
朝食用のシリアルバーの代わりに、または、小腹のすいたときのスナックに最適です。本日のお皿は、Midwinter(ミッドウインター)の Carmen(カルメン)です。
ピーターラビットの絵本

うちのピーターが自らのいたずらを読まされて恥ずかしがっています。反省しているようなので許してあげることにしますが、このこは、ラディッシュをどこかにおいてきてしまいました。

それから、まず、れたすをなんまいかたべ、それから、さやいんげんをたべ、それから、はつかだいこんをなんぼんかたべました。
そのうち、ちょっと むねが むかむかしてきましたので、ぱせりを さがしにいきました。

きのどくに、ピーターは そのばん、おなかのぐいあが よくありませんでした。
おかあさんは ピーターをねかして、かみつれをせんじて、ピーターに 1かいぶんのおくすりをのませました。「ねるまえに 大さじに 1ぱいですよ。」
「ピータラビットのおはなし」より ベアトリクス・ポター:作・絵 いしいももこ:訳
女王様万歳
特に女王様グッズはかわいらしくセンスの良いものが多いです。女王様のシルエットをモチーフにしたものや愛犬のコーギーをあしらった雑貨は私の購買意欲をそそります。


私のハートを射止めたのは王冠がかわいらしい缶です。これは Marks & Spencer(マークスアンドスペンサー)の商品で、中にはショートブレットが入っていました。女王様の横顔をモチーフにした白い缶もありとても迷いましたが、ピンクの方を購入しました。ビスケットを入れようか、ソーイングセットを入れようか現在、思案中です。
女王様は86歳ですが、精力的にご公務をこなす多忙な毎日を送られています。そのような女王様を支持する人は多く、2011年にサンデータイムス(保守系高級紙)が行った調査によると、80パーセントを超える人々が女王様に対して好意的な印象を持っているそうです。
私も女王様のご活躍にエールをおくる一人です。女王様、いつまでもお元気でご公務を続けてくださいね。
アルファマ地区
アルファマ地区は迷路のように入り組んだ狭い路地が続くリスボンの下町です。家々の白い壁はかつて栄えたイスラム文化の名残です。この地域には庶民階級の人々が暮らしているかと思えばば、意外なほどおしゃれなカフェやショップが色を添えています。イーストロンドンやパリのモンマルトルを彷彿とさせる興味深い場所でした。

壁に残るアートと落書き
落書きは写真に華を添えているのか、はたまた、台無しにしているのか。落書きはリスボンの街のいたるところで見られました。

アルファマ名物、風にはためく洗濯物
この地域には昔からの伝統的な暮らしを続ける庶民とともに、移民も多く住み着いています。様々な文化が混ざり合うとともに、旧と新とが入り乱れることによって、混沌とした空間が広がっていました。

路地の一角
ひっそりとした路地の一角には、普通の人々の生活が垣間見られました。

カテドラル
アルファマ地区にあるこのカテドラルはリスボンで最も古い教会です。1147年にアフォンソ・エンリケスによってイスラムの礼拝堂の跡地に建設されました。レコンキスタ直後に建設されたこの聖堂は、イスラム勢力を監視するための要塞の役割も果たしていました。リスボンでは、1755年に大地震に見舞われ、多くの建物が崩壊しましたが、この堅牢な造りの教会は大地震の後も生き残りました。シンプルなロマネスク様式で建設された聖堂には、ゴシックやバロック様式など、様々な建築様式が付け加えられました。

サンタ・エングラシア教会
ブラガの殉教者聖エングラシアに捧げられたバロック様式の教会は、1682年に建設が開始されましたが、20世紀まで未完成のまま放置されました。20世紀の半ばにドームが加えられて1966年にやっと完成しました。現在は国立のパンテオン(名士合祀殿)としてヴァスコ・ダ・ガマやエンリケ航海王など、ポルトガルの著名人たちが葬られています。


日光を浴びて、たわわに実るオレンジ
旅行中は天候に恵まれ、観光地や建築物だけではなく美しい花々も私たちの目を楽しませてくれました。
ついに
カーブーツセールでスパニッシュガーデンのディナーセットを見つけたことがありました。値段を聞こうとする私の目の前で売れてしまい、売り手のおばさんがお皿を一枚一枚新聞紙にくるんでゆくのを指をくわえて見ているしかなかったったことを思い出しながら、今回のめぐり会をとても嬉しく思っています。

Midwinter(ミッドウインター)Spanish Garden(スパニッシュ・ガーデン)
今回は、一枚だけしか購入できませんでしたが、もう一枚、欲しいです。いつ、めぐり会えるのか今から楽しみです。