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2023-06

聖フランチェスコの歩みⅡ

2009年3月22日-25日 
 アッシジには、清貧の聖人フランチェスコと彼の思想に感銘を受けた聖キアーラに捧げられた教会があります。それぞれの教会は二人の死後に建てられました。
 会堂を訪れた人々は、彼らが大自然の中で素朴なまでにも神に忠実に歩んできた道のりを知ることができるでしょう。彼らの思想は永遠のものとして後世の人々にも受継がれていくことでしょう。

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サン・フランチェスコ聖堂
 サン・フランチェスコ聖堂は、清貧の聖人フランチェスコを称えるために1253年に完成しました。教会堂にはルネサンス初期の画家ジョットによる聖フランチェスコの生涯、28の場面を描いたフレスコ画があります。
 聖フランチェスコは自然を愛し、鳥や動物とも対話をすることができました。「小鳥に説教するフランチェスコ」のフレスコ画はそのような聖フランチェスコの優しい人柄を最もよくあらわしています。

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路地の風景

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サンタ・キアーラ聖堂
 聖キアーラは1194年にアッシジの裕福な家庭に生まれました。1210年に路上で彼女が聖フランチェスコの説教を聞いたのが二人の最初の出会いでした。それから2年後に彼女の両親が裕福な男性との結婚を決めた時、家を出で聖フランチェスコの元で修道生活を始めました。彼女は、サン・ダミアーノ教会で、清貧、貞節、従順の誓いを受け入れた信仰生活をおくり、後に女子修道会キアーラ会を創設しました。
 現在、聖キアーラはテレビの守護聖人としても崇められています。病床に臥せってミサに参列できなかった彼女は、自室の壁にミサの様子を映し出す奇跡を起したという逸話に由来します。サンタ・キアーラ聖堂は聖フランチェスコに忠実であった聖キアーラに捧げられた教会です。ピンク色の石灰石が女性らしくてかわいいです。

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聖フランチェスコ教会からの眺め

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高台から眺めるペルージャの街並
 ペルージャは丘の上にある小さな街です。大学の街でもあり、若者の活気に溢れていました。ロンドンからアッシジへの中継都市として滞在しましたが、小ぢんまりとしてかわいい街でした。

参考文献:Wikipedia・地球の歩き方イタリア

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聖フランチェスコの歩みⅠ

2009年3月22日-25日
 アッシジはイタリアの国の守護聖人であり、第二のキリストと呼ばれる清貧の聖人フランチェスコが生まれた街です。イタリア人だけではなく、全世界のカトリック教徒の巡礼の地となっています。

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雨に濡れる聖フランチェスコ像
 聖フランチェスコは、12世紀の後半にアッシジの裕福な織物商人の家に生まれました。裕福な家庭に生まれたがゆえに放蕩生活を送っていましたが、ある日、彼は神が語りかける声を聞きました。以来、聖フランチェスコは生涯を神に捧げる修道生活をおくりながら、貧しい者や病める者たちのために尽くしました。

 私が大学時代にお世話になった教授は若い頃、神父になることを志しアッシジの修道院で一時期、修道生活をおくりました。彼は工学系の大学に進みましたが英語の論文を読む必要がありました。しかし、英語の発音は綴りとは必ずしも一致するものではなく、発音の仕方に悩みました。その時、彼の担当教授が「英語が読めないならラテン語をやれ。ラテン語はローマ字読みすればいいから。」と言った言葉を真に受け、彼はラテン語の勉強を始めました。
 勉強を重ねるうちに神学の魅力にとりつかれ、神学部に入り直しました。ヨーロッパに留学して、神父になるための勉強を続けましたが、その夢を捨てて結婚しました。結婚して間もなく奥様が寝たきりになり、奥様が亡くなるまで介護を続けました。彼はそんな話をユーモアを交えて講義の中で語ってくださいました。聖フランチェスコと教授の姿が私の中で重なります。

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サン・ダミアーノ修道院
 1206年に聖フランチェスコは、サン・ダミアーノ教会の十字架から「早く行って私の壊れかけた家を建て直しなさい。」という神の声を聞き、自らの財を投げ打って荒れ果てた教会の修復を行いました。清貧と自然を愛する聖フランチェスコの歩みはここから始まりました。この修道院は聖フランチェスコの弟子である聖キアーラが信仰生活を送った場所でもあります。
 私が修道院を訪れた日は生憎の雨でした。修道院内の教会堂にたどり着いた頃には、雷が激しい音をたてて鳴り響いていました。質素な教会堂の椅子に腰掛けて雨が小降りになるのを待ちました。教会堂に響く外界の激しい音は、中で佇む私の心に不思議と平静を与えました。降り続く激しい雨と雷光は神の栄光を現しているかのようでした。

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サン・ダミアーノ修道院 雨に耐える修道僧

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窓辺の聖フランチェスコ
 イタリアやスペインなどのカトリックの国へ行くと、一般家庭の窓辺を祭壇にして聖母マリアや聖人が祀られていることがよくあります。

参考文献:Wikipedia・地球の歩き方イタリア

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カプリ島

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フェリーがカプリ島に到着したところ

2008年3月28日
 ナポリから観光用フェリーで「青の洞窟」で有名なカプリ島に行きました。その日は午後から晴れ間が広がりましたが、波が高く洞窟には入ることができませんでした。春先はまだ波が高いことが多く、青の洞窟に入れる可能性は夏場よりもずっと低いそうです。波が高い日でも、ナポリやソレントからのフェリーの第一便が到着する前に、カプリ島、滞在者のために特別に洞窟に入るボートが出るそうです。この情報は旅行後に知りました。知っていればカプリ島に1泊したのですが、残念です。
 洞窟に入ることができなかったのは非常に残念でしたが、悔しがっていても仕方がないので高台にあるカプリ地区を散策しました。遊歩道に沿って長い距離を歩きました。歩いていると展望台に行当り、そこから青く美しい海と形の良い島々を見ることができました。随所に展望台があり、歩いているうちに洞窟も見つけました。随分と長い時間を歩き続けましたが、心地よい海風と絶景が疲れを忘れさせてくれました。今度は夏に訪れて「青の洞窟」に入ってみたいものです。

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カプリ島 展望台からの眺め

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カプリ島 海の青と植物の緑のコントラストが美しい

参考文献:Wikipedia・地球の歩き方イタリア

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ポンペイ遺跡

2008年3月27日
 ポンペイ遺跡を訪れた日は生憎の雨模様でした。
 ポンペイは、79年のヴェスヴィオ火山噴火によって火山灰で地中に埋もれたローマの殖民都市です。18世紀に発掘が開始され、現在は世界遺産に登録されています。

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雨のポンペイ遺跡 ポンペイを訪れた日は生憎の雨だった

 火山噴火以前のポンペイはワインの醸造が盛んな港湾都市で、商業も盛んに行われていました。ワインを運送するための壷が多数、出土されています。都市は計画的に作られており、下水道が完備され、舗装された大通りは碁盤の目状に整備されていました。
 進んだ都市文明を誇ったポンペイは、79年のヴェスヴィオ火山噴火による火山灰によって、一瞬にして地中に埋もれました。火山の噴火により噴出した高温ガスや灰、岩石が雪崩れのように降りかかってきたときの人々の恐怖はいかばかりだったでしょうか。幼い子どもの手を引いて逃げまどう母親、逃げようにも足腰が弱って立つことさえもままならない老人、離れ離れになった家族を探して泣き叫ぶ人、このようなことを想像するだけで恐怖に襲われます。たった一つ願うことは、逃げ遅れた人々の苦しみが一瞬であってほしいということだけです。

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商店ではオリーブオイルなどが売られていたらしい

 ポンペイ遺跡からは当時の生活の様子を偲ばせる品々、食器やコイン、フレスコ画などが出土されました。フレスコ画や壁画は鮮やかな色で彩られており、18世紀に発掘されたときにはまだその色を失っていませんでした。都市を隙間なく埋め尽くした大量の火山灰は乾燥剤の役目を果たし、湿気を吸収して壁画や美術品の劣化を最小限に食い止めました。ポンペイの人々を死に至らしめた火山灰によって、後世の人々に彼らの生活を伝えることになるとは、なんとも皮肉なことです。

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時を越えて美しい色彩を放つ祭壇と壁画

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足元のタイルにも注目 猛犬注意! 
 遺跡のお土産屋さんにはこのモザイクを模したプレートが売っていました。ロンドンでもこのプレートをドアに貼ってあるお家を時々、見かけます。

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街並も当時の様子を偲ばせる

参考文献:Wikipedia・地球の歩き方イタリア

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ナポリを見て死ね

2008年3月26日-29日
 ナポリ旅行の計画をイタリアに住んでいたことがある友人に話したところ、「ナポリはイタリアの他の街とは違って危ないところがあるので、くれぐれも気をつけるように。」とのアドバイスをいただきました。「ナポレターノ」とは、信用できないとか、まがい物という意味があるそうです。しかし、「ナポリを見て死ね」(ナポリの風光を見ずに死んでしまっては、生きていた甲斐がないという意味)という名言もあるくらいの美しい街であるとも聞きます。さて、どうなりましたか。

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ナポリ名物細い路地とはためく洗濯物

 泊まったホテルが中心街から少し外れた場所にあったのせいか、周辺にはごみが散乱していました。ナポリは2007年末から深刻なごみ処理問題を抱えていました。ごみ集積場の処理能力が限界に達したことが原因でした。これまでは非合法にマフィアがごみの回収を行ってきましが、マフィアと地元当局との関係が悪化したことも、この問題に拍車をかける結果となりました。少し汚い街だとは思いましたが、ロンドンにもごみが散乱しているような地域もあるので、目をつぶることにしました。さすがに観光地にはごみの跡はありませんでした。

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ナポリ大聖堂
 ナポリ大聖堂は、14世紀初期に完成したナポリの守護聖人、聖ジェナーロに捧げられた教会です。礼拝堂に保存されている聖ジェナーロの血液は、年2回の祝祭日には瓶の中で液状化する奇跡を起こします。伝承によればこの血液が祝祭日に液体化しなかった場合、ナポリに何か悪いことが起きると考えられています。

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サンタルチア湾より臨むナポリの街並

 悲しいかな、100mlの液体機内持ち込みルールのおかげで、帰りの空港でモッツァレラチーズを没収されてしまいました。モッツァレラには規定以上の液体が含まれています。
 カバンをセキュリティーに通した後に「すみません、カバンの中にモッツァレラが入っていませんか。」と係官に呼び止められ、モッツァレラは没収されました。この規則は、化学薬品などを機内に持ち込んで、爆弾などの危険物を作らせないようにするためのものであって、明らかにチーズだと係官がわかっているのなら、取上げる必要はないと思います。しかし、文句を言っても仕方がありません。セキュリティーシステムがきちんと稼動していることがわかったのでよしとしましょう。
 没収されたモッツァレラはスパッカ・ナポリのデリで買いました。そのデリでは、おじさんとおばさんが客引きをしながら観光客をどんどん店に誘い入れるようなお店でした。「モッツァレラをください。」と私が言うと、おじさんが「7ユーロです。」と言うので、私はなんの疑いもなしに7ユーロを支払うと、地元民と思われる客がおじさんに向かって「えっ、なんでそんなに高いの。」というようなことを言っていました。イタリア語なので私の想像ですが、値段の相場を知らなかった私は黙ってお金を払いました。気をよくしたおばさんからメロン酒の試飲をさせてもらいましたが。セキュリティー通過後、免税店で売られていたモッツァレラは2つ入って9ユーロでした。やはりボられたようでした。最初から免税店で買えばよかったです。
 それにしても没収されたモッツァレラチーズはどうなるのでしょうか。「今日は収穫だ。3つも取れた。」(実際、私のが3つ目でした。)と言いながら、後で職員がモッツァレラをつまみに酒盛りでもしてくれればチーズも救われるのですが。

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モッツァレラチーズたっぷり ナポリ名物「ピッツァマルゲリータ」
 ピッツァマルゲリータは、ナポリ発祥のトマトとモッツァレッラ、バジルで作られたシンプルなピザです。緑のバジル、白のモッツァレッラ、トマトソースの赤がイタリア国旗を表しているようで、大そうお気に召したマルゲリータ王妃が自身の名をピザに冠したであるとか、マルゲリータ王妃に捧げるために職人がイタリア国旗を模してこのピザを作ったなどの逸話が残されています。

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